サラエボオリンピック
サラエボという名を耳にしたとき、最も多くの人が思い浮かべる事のひとつが「サラエボオリンピック」ではないでしょうか。
サラエボオリンピックは1984年に開催された冬季オリンピックです。
当時、共産圏ではじめての冬季オリンピックとして開催され、49カ国、1274人が参加しました。
地元ユーゴスラビアのユーレ・フランコ選手が銀メダルを獲得し、同国初の冬季オリンピックメダリストとなり、北沢欣浩選手が日本人初のスピードスケート競技メダリストとなった事などが思い出されますね。
しかし、私がこのオリンピックで最も興味深く感じた事は、スキー王国オーストリアの大惨敗でした。
オーストリアといえば有名なスキー王国。
1998年に開催された長野オリンピックでは17個のメダルを獲得したほどですが、この強国オーストリアがサラエボオリンピックでは僅か1つの銅メダルを獲得しただけという大惨敗を喫しました。
その理由は何だったのでしょう・・・
その答えはこの都市の歴史にあります。
1878年に、当時オスマントルコ領であったボスニア州とヘルツェゴヴィナ州を占領したオーストリア=ハンガリー帝国が、都市としての社会整備を全く行わなかった事から、この地の人々にはオーストリア=ハンガリーに対する深い遺恨が残っていたのです。
この遺恨はサラエボオリンピックにおいてオーストリア人への憎しみとして爆発しました。
オーストリア選手が登場すると沸き起こる怒号・罵声・・・
オーストリア選手の宿舎には投石が行われ、選手を守るべき民間警備員がオーストリア選手を殴るという事態まで起きてしまいました。
全てのユーゴスラビア人が暴徒化した訳ではないとはいえ、オーストリアの選手にしてみれば競技に集中する状況ではなかった事でしょう。